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一言:
1963年のスマートボール
今回も1500字くらいの書評で一言を謎解きするスタイル(最近多いけど)
人生でギャンブルにのめりこんだ経験は一度しかないのだが、
その一度というのが齢にして七歳、
1993年に駄菓子屋に通いつめて遊んだスマートボールである。
横置きで、打ち返すことのできないピンボール、
といえばご理解いただけるだろうか。
「十円玉を握り締めスマートボールに興ず」
という忘却の淵にあった個人的体験を、
奇しくもその三十年前に文筆業を開始した在野の学者、
萩原延壽の一連の著作がすくいあげててくれた。
彼の文章に満ちる「スマートボール的愉悦」のおかげである。
一種のテクニックと言ってしまえばそれまでだが、
彼の文章は打ち出したボールが向かう先としての二つの枠、「保守」と「革新」や、「権力」と「理念」といった緊張感に満ちた二項対立を設定するところから始まる。
だが御想像のとおり著者の興味は歴史上の人物や同時代人が最終的にどこに転がったか、
という結果にはない。
スマートボールの醍醐味はボールが転がっていく過程、
なかんずく、打ち込まれた釘に当たって彼らがどちら側に跳ねるのか、
その瞬間にこそある。
転がることをやめたボールに対する著者の目は厳しい、
というよりも彼らは個人名を挙げて描かれることさえない。
そして著者は、
摩擦による運動エネルギーの消耗を逃れ永遠に盤上で動き続けること、
つまりどちらかの枠におさまってしまわないという不可能性への挑戦をさえ、
知識人の倫理として求めるのである。
そして、枠におさまることの拒絶という点ではニヒリズムに通じかねないこの倫理を、
その運動性によって虚無主義から峻別する(p53)。
ここまでが「スマートボール」入門編である。
だが、より徹底した攻略のためには、
萩原台の独自の癖にも目を配らねばなるまい。
「夜警国家」を
「人々が寝静まったころ、その安らかな眠りを守り、明日の活動を容易にするために、夜更けの街を見廻る夜警」(p27)
と記述できるレトリックを持ちながら、
著者の文章はおおむね平易で禁欲的である。
もちろん、
陸奥宗光や馬場辰猪の人生を「ドラマ」にし「悲劇」にしているのは著者の描き方、釘と枠の設定の仕方ではないか、
という懐疑の念を失うことは、
「知識人」である読者には許されていない。
また、「政治思想家」を一つの否定すべき精神状態と定義した直後に、
「『精神思想家』の数は、それまで決して少なくはなかった」(p187)
と実体化して描く茶目っ気も、駄菓子屋や的屋のおじさんとしては許容範囲だろう。
だが、精神の永遠の革新の運動を説き、
その運動を止めるものとして「感動」を描く一方で、
著者自身「感動」の力を強く信じている節がある。
その証拠としては、
馬場辰猪の死に際して中江兆民が起草した追悼文に寄せる著者の
「ここに長文の引用をあえてしたのは、この文章が要約や省略を不可能にするほどの感動へわたしたちを誘うからである。」(p115)
という一節で十分であろう。
打ち出されたボールが描く軌跡ではなく、
そのボール自身がガラスを突き破り読者に届く可能性を著者は最終的には信じている。
そして遺された名文の数々を前にする時、
現代 ―緊張感を持って屹立する二項対立は消え、釘は引き抜かれ、ボールを打ち出すばねは伸びきってしまった時代―
に生きる我々は、
彼の生きた時代に嫉妬せざるをえない・・・。
しかし本当にそれでいいのだろうか。
彼の設定する二項対立は全て価値的に等価なものである中で、
「池田時代の遺産」という短文で導入された「プロ」と「アマ」という言葉が気に掛かる。
これはつまり、
二項対立を相対化してスマートボールを外からプレイしている者と、
何もわからずにただ転がっているボールとの差異である。
そしてこれは「新人類」と「オタク」を経て「あえて」と「ベタ」という言葉にまでつながる現代の問題系に直結する。
価値の相対化が進み、
全体が見えているかという「差異」しかない「現代」が、
萩原の中にも刻印されているのだ。
ならば、我々がなすべきはないものねだりをすることでないことだけは明白だ。
そして小林秀雄を評した萩原自身の言葉を借りるなら、
現代人萩原の著作を新たな「感動」を持ちつつ
「丹念に読むことの方が、それを要約しようと苦労するよりも、はるかに有益であるし、かつ楽しい」。
無論「まずこの道場を経て、氏のいう『創造的』批評の旅に出立すべきである」ことは言うまでもないとしてもである。
目次など
「革新とは何か」「福沢・中江・馬場」からオーウェル、丸山真男、“リトリートの思想”まで。
自由の精神を生きた一人の知識人=萩原延寿の軌跡をとどめる35篇。
人間と国
革新とは何か
日本知識人とマルクス主義
陸奥宗光小論
馬場辰猪の墓
福沢・中江・馬場
福沢諭吉
不朽の文字
岡義武『近代日本の政治家』を読む
ゲイツケルの死〔ほか〕
「好きな文章に出会うと、すぐそれを写したくなる癖が、わたしにはあるらしい。写していると、やがて自他の区別がつかなくなり、自分でも惚れ惚れするような名文を書いているという錯覚に陥ることがあるが、筆写にはそういうひそかな愉しみもある」(オーウェル「政治と英語」)
著者が文筆家としてデビューしたのは1963年春のことであった。それまでの6年間をアメリカとイギリスで暮らした著者は、戦後日本の転機となった「60年安保」を外側から体験していた。同時代をみつめる特有の視点、自由な精神に裏打ちされた著者独自の文章は、ここから生まれたといってよい。「政治は現実を語り、思想は理想を説き、かくして、その間に永遠の対立と緊張が存在する――、そういういわば散文的な現在の方が、政治社会の常態なのである。そして、政治と思想について、保守と革新について、現在わたしたちが考えをめぐらす場合に、その基礎におくべきものは、政治社会の常態であって、例外的な状況ではないように思うのである」(革新とは何か)
萩原延壽(1926-2001)の遺した文章から35篇を選んで一書にまとめた。「日本知識人とマルクス主義」「首相池田勇人論」など、主に『中央公論』誌上で展開した政治評論、先行する「歩行者」たる馬場辰猪や陸奥宗光・諭吉・兆民について、小林秀雄やアーネスト・サトウ、ミュージカルを描いた数々のエッセイや書評、〈リトリートの思想〉について、そして丸山眞男、藤田省三への思い。自由の精神を生きたひとりの知識人の軌跡をとどめる。
萩原延壽(はぎはら・のぶとし)
1926年東京に生まれる。東京大学法学部政治学科卒業。同大学院を経て、米国ペンシルベニア大学、英国オックスフォード大学に留学。帰国後、著述活動に専念。著書『馬場辰猪』(中央公論社、1967、第3回吉野作造賞)『書書周游』(文藝春秋、1973)『東郷茂徳――伝記と解説』(原書房、1985、吉田賞)『陸奥宗光』上下(朝日新聞社、1997)『遠い崖――アーネスト・サトウ日記抄』全14巻(朝日新聞社、1980-2001 第28回大佛次郎賞)。
新聞書評
自由の精神 萩原延壽著
政治見据えた歴史家
萩原延壽という、歴史に深く沈潜した作家がいた。心血を注いだ『遠い崖―アーネスト・サトウ日記抄』(朝日新聞社)全14巻が完結した直後、ロウソクが燃え尽きるかのようにこの世を去った。残された人々は、彼の原点とも言うべき初期の論文を中心に一冊に編んだ。
萩原延壽は「思想と政治のジレンマに生きた男」(粕谷一希氏)だった。「思想のラディカリズム」と「政治のリアリズム」の相克を見詰めた歴史家だった。次の断言はその結晶だ。
〈「権力」と「理念」という政治における2つの主要な契機の双方にたいして、つねに過不足のない認識と理解をしめすものだけが、政治の世界において真にリアリストの名に値する〉
それを体現したのが陸奥宗光だった。「陸奥宗光小論」は何度読んでも唸(うな)ってしまう。陸奥とは「藩閥」勢力という実在する権力と、「自由民権」という普遍的な「理念」との間に引き裂かれた「分裂した魂」の所有者だった。これに対し、馬場辰猪は「自由民権」の「理念」をひたすらラディカルに追求した。彼の生涯を知る者は「凛冽(りんれつ)の気」に打たれるが、覆いがたく現れてくるのは「政治」の不在である。このように2人を対比し、陸奥を高く評価しつつも、馬場への愛着も隠そうとしない。
萩原氏には「革新とは何か」にみられるような根源的な思考、史料を探索し内在的に理解しようとする態度、そして人物に注ぐ温かい視線がある。随所で印象深い文章に出合う。
「馬場の真面目は理想と信念に対する極めて真摯(しんし)な生活態度を保持していた点にある。しかし彼は『妥協』という休息を知らなかった」
岡義武『近代日本の政治家』の解説ではこう書く。「リベラル・ナショナリストとしての岡先生は2つの時代において『静かなレジスタンス』をつづけることを余儀なくされた。ひとつは戦前のナショナリズムの過剰に対して、ひとつは戦後のナショナリズムの過少に対して」
評者・橋本五郎(読売新聞社編集委員) / 読売新聞 2003.10.12
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2007/02/28(水) 08:50:53 |
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